- 文化観光
- 沙上八景
沙上八景
「沙上八景」とは古くから伝えられてきた沙上地域の優れた8つの風景をいう。それぞれの意味は次のとおりであり、これにより、川、山、人が調和した過去の沙上を想像することができる。
- 九徳山の朝霧九德朝霧
九徳山は濃い森林が生い茂り、深い谷と清らかな水が流れる名山として有名だ。また、朝霧のたちこめた九徳山の景色は青い松林と調和をなし、まさに壮観だったと伝わっている。さらに日の出の光に照らされ、山全体が赤く染まり、徐々に黄金色に変わっていく風景は言葉では表現できないほど壮観だったという。
- 帆かけ舟が夕暮れどき、遠方より戻ってくる 遠浦帰帆
沙上は都市化が進む前まで半農半漁村であった。漁師は今日の洛東江河口の多大浦沖合まで漁に出たりしていたが、夕方になると 大漁に沸き立ち、帰港する船に白い旗を掲げ、乙淑島を過ぎ、甘田の渡しや三楽洞の價布の渡しに戻ってきた。帰港する風景を見ると、白い帆船の上には白いカモメが飛び交い、船べりを洗う波は赤い夕焼けと一体になって非常に美しかったという。
- 砂原に舞い降りた雁の群れ 平沙落雁
沙上は古くから洛東江下流に位置する地形的な特徴により、大雨が降ると洪水になりやすく、上流から流されてきた砂の堆積によって湿地と砂地が形成された。そのため地名も砂を意味する「沙」を使い、沙上となった。生い茂った草々とアシ原は渡り鳥にとって住み心地のよいところとなった。夕日に照らされ黄金色に輝く砂地の上を飛んでいた雁の群れが洛東江の川岸に舞い降りる光景はまさに壮観だったはず。今は都市化が進み、沙上のアシ原と砂の干潟は工業団地に変わり、その風景は見られなくなってしまった。
- 七夕のアシ原にカニを捕まえるために灯した松明 七月蟹火
6〜7月に生い茂ったアシ原を遠くから眺める光景は、まるで濃紺のじゅうたんを敷いたようだったと伝わっている。夜になると葦原の湿地でカニを捕まえるために松明を灯したが、その光景はまるで花火のようで壮観だったという。しかし、今はアシ原は都市化によりなくなり、昔の様子は話にだけ伝わっている。
- 八月の川沿いに咲く葦の花 八月老化
アシは7月まで勢いよく生い茂り濃紺の野原となるが、8月になると白いアシの花が咲くため数万坪に広がる湿地はまるで白い粉を散らしたように見事だったという。洛東江周辺の人々にとってアシは重要な生活資源だったそうで、冬になると人々は副業としてアシで笠やゴザなどを作って売っていたという。しかし、今は昔の風物誌にさえも残っておらず、沙上地域にアシ原があったことを知っている人はあまりいない。
- 夕日が西山に沈んでいく際、川に映る残照 西山落照
西山落照は、沙上で最も美しい夕暮れの川辺の風景である。秋晴れの日に沙上から眺める洛東江の夕焼けは神秘的なほど美しい。その時期にはアシの穂影が川からの風にゆらゆらと揺れ、川の水面を漂い白い波を立てる。また、アシ原を染める黄金色の逆光の向こうに見える山裾は陰影の墨絵に変わり、夕焼けは薄桃色に染まっていく。 西山落照は河と山、葦原からなる自然美の極致といえる。
- 雲水寺から聞こえてくる夜の鐘 雲水暮鐘
雲水寺の創建にまつわる伝説によれば、境内の湧水地から霧が立ち昇り、霧が雲に化する光景を見て、お寺を建立し、雲水寺と名付けたという。その昔、ここ雲水寺から聞こえてくる夕方の鍾の音は、娑婆の世界へ大きく響き渡り、五欲七情を静めるに充分だったであろう。さらに、その大きな鐘の音は洛東江のかなたの金海平野にまで響き渡り、すべての衆生の罪業に対する解脱得道の余音とみなされたことであろう。
- 金井山から昇る明るい月の光 金井明月
金井山は釜山を鎮護するとされる山で、うっそうたる樹林とススキ畑が広がり、奇岩怪石、昔の城跡などもあり、その美しさは群を抜いている。金井山の山並みに昇る月は海から眺める月とはまた違った意味や風景を作り出す。金井山の明るい月が洛東江の水面に映り、金井山の山すそを照らす。この二つの月の風景は素晴らしかっただろう。さらに、月夜に川で船頭が小船を漕ぐ風景は壮観だったに違いない。